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七夕によせて - こよみの話 どうして2月は28日?
7月7日は七夕 でも・・・ 七夕に寄せてふたたびこよみのお話 ささの葉 さらさら のきばに 揺れる お星さま きらきら きんぎん すなご ごしきの たんざく わたしが 書いた お星さま きらきら そらから 見てる 私の好きな童謡です。きのう7月7日は日本では七夕、願いをこめた短冊は天に届いたでしょうか・・ でもあまり行事に関心のない私、中でもとくに雨だったりくもりだったりして織り姫と彦星のデートが見られることのない七夕は意味がないように思えていました。 どうやら日本でグレゴリオ暦(現太陽暦、西暦)を採用して七夕をするようになってから7月7日は梅雨の季節にあたるので星の見られる七夕が少なくなったとのことです。 以前は日本でも陰暦で七夕をやっていました。陰暦の場合、7月7日はほぼ立秋以降なので七夕の季語は秋とのこと。 私が日本を離れ香港へやってきてからもうすぐ満11年になります。正月をはじめ、当地の年行事は陰暦を使用することが多く、陰暦との関わりが増えましたので、自然に陰暦のことを調べる機会も増えてかなり理解できるようになってきました。 グレゴリオ暦と以前の日本でも使っていた陰暦とは1月1日の季節設定がずれています。日本で1月1日というと冬、でも年賀状で書く「新春のおよろこびを申し上げます」のように陰暦では1月1日を春の設定としていて1ヶ月ちょっとのずれがあります。 (写真をクリックすると七夕伝説と星の説明があります) 陰暦(太陰太陽暦) 1太陽年は365.24日、月の満ち欠け周期は29.53日。これはどの文明でもかなり正確に計測されていました。ですので暦を作る場合、何を基準にするかが問題です。 紀元前21世紀から紀元前16世紀まで継続していたと言われるの中国の「夏」時代にも暦が使われていたそうです。「夏」時代には農業をやっていたようで、考えてみれば農業が行われていれば暦は存在するはずですよね。 陰暦(正確には太陰太陽暦)の場合はお月さんの満ち欠けで今日が何日であるかを決め、太陽の運行で今月が何月であるかを決定します。 陰暦の仕組みの簡単な説明は小ブログ過去記事を参考に・・ますお月さんの見えない新月の日を1日(ついたち)と設定します。これで1ヶ月の長さが大の月(30日)か小の月(29日)かが決まります。 月の設定には1年を正確に12等分した中気という日を使います。たとえば春分、夏至、秋分、冬至などで、これらの日が入る月は2月、5月、8月、11月としています。 ( 24節気は節気12個と中気12個に分かれていますが月を決めるのはこのうち中気、下表の正月中とか二月中とかです。中気のない月は閏月になります。 ) 表からも分かりますがグレゴリオ暦とは季節的に1ヶ月ちょっとの差があります。 グレゴリオ暦(太陽暦) - どうして2月は28日? 現在使っているグレゴリオ暦(太陽暦)は紀元前45年に定められたユリウス暦に閏日の調整を正確にして16世紀に定められたものですが、起源はローマで使われていた暦で、元々は陰暦から発生して太陽暦に切り替わったとのこと。ユリウス暦と行ってもおそらく様々な亜流の暦があったのでしょうけど・・ もとは3月が一年の最初の月で最後の2ヶ月は農閑期にあたるので暦が必要ないと10ヶ月間しか暦がなかったそうです。その後12ヶ月暦となり最後の月、現在の2月で一年の長さの調整をしていたようです。 ユリウス・カエサル(英語:ジュリアス・シーザー)が定めたユリウス暦は1月を一年の始めとして、もとは年の最後であった2月を1年の長さの調整月にあてました。 奇数の月は31日まで、偶数の月は30日としたので1年366日になるため調整月の2月を29日としたとのこと。 4年に一度、調整月の2月に閏日を入れて2月を30日にしています。7月に自分の名前ユリウス(英語はジュライ)をつけました。紀元前45年のことです。 シーザーの実質後継者となったアウグストゥスは自分の名前を8月につけ、8月以降は偶数月を31日として奇数月を30日としました。そのため1年がふたたび366日になったので調整月の2月を28日にしたとなっています。 一年が3月から始まったという名残が残っています。9月のSeptemberのSeptはセブンの意味、10月のOctoberのoctoは8の意味で2ヶ月ずれています。 1週間7日というのは新月から半月、半月から満月・・・がほぼ7日だったためで陰暦の名残だとのこと。 こうしてみると陰暦の決め方の慎重さ(複雑さ)に比べて太陽暦の歴史というのもいい加減なものですね。まあ、太陽暦は1年の長さを決めるだけなのでこんなものかも知れないですけど。 それにしてもグレゴリオ暦が定められた時、これらのことを整理することができなかったものでしょうか・・ 陰暦の行事をそのまま季節設定の違うグレゴリオ暦に置き換えるというのは無理があるのでしょうか。 仙台などの七夕まつりは陰暦では7月6日にやっていましたがグレゴリオ暦では1ヶ月遅れの8月6日としています。これは理にかなっていると思います。 もし七夕をグレゴリオ暦でやるならば季語も夏に変えなければならないかも知れません。私は俳句をやりませんが七夕をグレゴリオ暦でやり秋として俳句を作るのは気分が乗らないような気がします。おそらく俳句では仙台の七夕のことを書くことが多いのではないでしょうか・・・ なので今年は元々の設定にしたがって陰暦で味わってみることを思いつきました。陰暦だと7日はお月さんも半月と決まっていますので晴れていれば空もそこそこ明るいですし、立秋後という季節的にもいいのかなという気がします。 ネットを調べてみるといろいろなブログ、ページで同じような記事を発見しました。少数派はどこにでもいるものですね。 で、今年からしばらく自分の中での七夕を陰暦と考えて季節を味わってみようと思います。気分が良ければ一生、陰暦7月7日が私の七夕になります。ちなみに今年(2007年)は8月19日の日曜日が七夕、私の七夕感初挑戦です。 天の川が見えるでしょうか・・星座の勉強もしておかないと。 思いおこしてみると子供の頃、正月は寒いのにどうして新春というのかずっと不思議でした。季節感を伴う行事は陰暦のままの方がいいかも知れません。 今後は陰暦で設定されている行事は陰暦で味わうことを試してみようと思います。そうすると行事に無関心な私もちょっとは関心を持てるかも・・ 参考ページ FAQ/こよみの歴史 こよみの歴史 こよみの読み方 旧暦の仕組み 旧暦をつくろう ほしぞら情報 七夕と伝統的七夕 24節気表 ほか多数
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