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香港初在住日記(62) 鄧小平の死と香港人の感情 (1997.2.20)
今日は朝から鄧小平のニュースばかり。どのチャンネルでもテレビは放映している。タイマーでNHKニュースといくらかの民法をビデオに撮っておく。 通勤時、九龍湾駅で初めて新聞を買う。保存しておくため。新聞は5香港ドル、80円だが袋に入ってどっさりある。ニュース、芸能、スポーツなど、分野分けされている。 会社では特別どうということはないが香港人Mr. Cと話をすると(今)中国へ行くのは危険だ、と繰り返している。中国のことだから指導者が替わると政策がどうなるかわからない、と。 7月の返還の話をするが、周りの反応が静か。この話はしない方がいいかもしれない。会社の技術部門の中国への引っ越しで、みんな中国へ行くことになっているし不安に違いない。日本人にはまずわからないだろう。とにかく明日、香港人の相方は中国へ行く。 今日は相方ともうひとりの香港人と3人で夕食を。 このころの香港人を見ていると中国のことにはすごく敏感だったように思います。民族として同じですから気持ちがわかるでしょうし、侵略者としてのイギリスの教育を受けているわけですから、中国のことは都合のいいように教えられているはずですから、不安になるのは当然だといえます。時勢に乗って工場や技術者の中国への移転が盛んになってきていましたが、中国へ移転すると言われて技術者の95%が会社を辞めたところもあるぐらいです。事務所は深圳羅湖の一等地、地王ビル、条件として中国側では毎日送迎の社用車を走らせる、という待遇にもかかわらず・・・ こういう話も今では昔話になりつつあります。深圳・皇崗のイミグレに近いマンション群では、香港のスーパーや店がたくさんでき、マンションの構造も香港みたいで、すでにミニ香港みたいな様相になっています。会話も広東語が主流になっている所も多くなりました。 もっとも広東省では深圳が唯一普通語(標準語)の地域ですが。
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