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林則徐とアヘン戦争
林則徐とアヘン戦争 こういう話題はあまり取り上げたくなかったのですが、香港、深圳で長く住んでいるとどうしても看過できない話題と思い、昨日の深圳日記で出たのを機会に歴史を確認することにしました。 香港がイギリスに占領されるきっかけになったのがアヘン(麻薬)戦争です。 イギリスは中国との貿易の赤字を補うため中国で禁止されていたアヘンを中国に輸出、これを欽差大臣(中央の指示を仰がずに処理できる権限を持つ大臣)となった林則徐が指揮を執り約2万箱のアヘンの海中投棄を実行、その後、林則徐はアヘンを持ち込まない誓約書の提出を条件に広州における貿易の再開を認め、アメリカなどはこれに応じましたがイギリスは提出せず、これ以後にアヘン戦争へ突入。 結果はイギリスの勝利で1842年8月の南京条約でイギリスに香港島の領有権をわたしました。 さらに1856年、アロー戦争があり、イギリスはアヘン貿易を合法化させ、1860年には九龍半島の先端部を占領、さらに九龍半島の全てを含む新界地域が99年の租借となった。 フランスとはどういう関係になるのかまだ調べてないのですが、これらの時フランスにも多額の賠償金を支払っています。 参考文献 アジア史の真実 中名生正昭著 南雲堂 1997年 そしてこのアヘン戦争の資金を融資した銀行が香港で紙幣を発行しているHSBC(香港上海滙豊銀行)です。そのため中国は久しくHSBCを嫌っていたようですが和解したと聞きました。今は深圳にもHSBCがあります。 返還前、香港人にアヘン戦争を知っているかと聞いたら、知らないと言ってました。TVのインタビューで当時の香港パッテン総督は「現在、アヘン戦争を正当化することは誰にもできない」と言っていたのに... 日本は黒船来襲で鎖国を解き不平等条約を結んで開国したのですが、この時すでにアヘン戦争のことを知っていたため、アヘンは取引しない条項が入っていました。 江戸時代、日本が鎖国を宣言した時は戦国時代の影響で日本には10万丁の鉄砲があったと言います。軍事大国だったわけで鎖国を宣言すればそれで良かったのですが、黒船来襲の頃にはすでに時代が変わっていて不平等条約を受け入れなければならなくなっていたのです。 アヘン戦争もそうですが全ての戦争には年表には載らない、尋常でない庶民の苦しみがあるのです。そんなことを知るたびに怒りがこみ上げてきてしまいます。もう悲劇の起こらないことを祈って....
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